サッカー日本代表ユニフォームの謎や監督の遍歴 【サムライブルー】

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次回で22回目となる、2022年でカタールで開催が予定されているサッカーワールドカップが開催されます。

その日本代表についての豆知識やそのユニフォームの色、サムライブルーと言われるゆえんなどについて解説を行います。

なぜ日本代表のユニフォームが青色になったのか?

 大体の国では国旗の色が採用されていますが、日本に関しては青色です。その理由としては現在の日本代表のユニフォームの基本色として青、サブカラーに白を使用している。青は「日本の国土を象徴する海と空の青」を表すとされているが、これは後付の説明で採用時の正確な理由は、日本サッカー協会に資料が現存せず不明である。

 ちなみに、イタリアのユニフォームのテーマも「地中海の青と空の青」だとされています。

 2014年からは相手国のユニフォームと同じ色で試合をすると審判の判断ミスを誘う可能性があるため、明るい種類と暗い種類の2種類のユニフォームを用意しなさいと言われた時は上下黄色のセカンドユニフォームを採用している。

サムライブルーなどの愛称はどのように決まったのか?

2005年10月、日本サッカー協会は5つの候補の中から一般投票を行い、2006年1月27日に他の候補に2倍以上の得票数を獲得した「SAMURAI BLUE 2006」を2006年ワールドカップに向けた愛称にすることが発表された。2009年10月19日には「SAMURAI BLUE(サムライ・ブルー)」を公式のペットネームとすると定められた。

マスメディアでは横山が代表監督となった際に「横山ジャパン」という呼称が使われるようになり、以降「監督名+ジャパン」という呼称が用いられている。フィリップ・トルシエの代表監督時代は「トルシエ・ニッポン」という呼称も使用されていた。

海外メディアでは「ライジング・サン」や「ブルー・サムライ」、「ブルーズ」という愛称もある。

マスコットの八咫烏(やたがらす)の決定のいきさつ

 はっきりとした記録は残っていないが、大正10(1921)年に大日本蹴球(しゅうきゅう)協会として設立された日本サッカー協会は昭和6年から、八咫烏をシンボルマークとして使用している。これは協会創設などに尽力した漢学者、内野台嶺(たいれい)(1884~1953年)の発案だったといわれる。

プロ後の代表監督

 初のプロ監督で初の外国人日本代表監督のハンス・オフトの年俸は約7000万円であった。オフトはドーハの悲劇後、辞任した。ドーハの悲劇後、ファルカンが日本代表監督に年俸約1億2000万円で就任した。ファルカンの解任後、日本代表監督に就任した加茂周の年俸は約7000万円だった。加茂監督は1998年仏W杯アジア予選途中で解任され、岡田武史(第1期1997-98)が年俸約5000万円で日本代表監督に就任し1998年仏W杯まで指揮した。

1998 FIFAワールドカップ後、日本代表監督に就任し日韓W杯まで指揮を執ったフィリップ・トルシエの年俸は約9000万円で、日本代表初のW杯ベスト16(=決勝トーナメント進出)の快挙を成し遂げた。日韓W杯後、2006年ドイツW杯まで指揮したジーコの年俸は約2億2000万円だった。

2006年ドイツW杯後、日本代表監督に就任したイビチャ・オシムの年俸は約9000万円だった。しかし、オシムが2007年11月16日に脳梗塞で倒れたため(後に回復)退任し、急遽岡田(第2期2007-10)が年俸約8000万円で二度目の日本代表監督に就任、2010年南アフリカW杯まで指揮し日本代表二度目のW杯ベスト16(=決勝トーナメント進出)の成績を収めた。

2010年南アフリカW杯後、アルベルト・ザッケローニが年俸約2億5000万円で日本代表監督に就任し、2014年ブラジルW杯まで指揮を執った。ブラジルW杯後、ハビエル・アギーレが年俸約2億円で日本代表監督に就任したが、スペインのクラブ監督時代の八百長疑惑により2015年2月3日契約解除となった。同年3月12日、ヴァヒド・ハリルホジッチが年俸200万ドル(約2億7000万円)で日本代表監督に就任した。ハリルホジッチは、2018年ロシアW杯まで指揮する予定であったが2018年4月7日に解任され、同年4月9日に西野朗JFA前技術委員長が日本代表監督に年俸約1億2500万円で就任した(同年4月7日までに西野はJFA理事、JFA技術委員長、Jリーグの理事を辞任)。任期はロシアW杯後の7月31日までで、ロシアW杯ベスト16の成績を残した。任期満了で退任する。在任期間はわずか3カ月23日(114日)間で、日本代表選手との帯同期間は5月21日の合宿から7月5日の帰国会見までのわずか46日間であった。なお、U-23日本(2018年時点ではU-21日本)監督の森保一は西野の日本代表監督就任に伴い、日本五輪代表監督を兼任したまま、ロシアW杯まで日本代表コーチを務めていた。

2018年7月26日、2020年東京五輪に出場するU-23日本(2018年時点ではU-21日本)監督の森保が、日本五輪代表監督を兼任したまま、ロシアW杯日本代表コーチから昇格する形で日本代表監督に年俸約1億5000万円で4年契約で就任した(なお、東京五輪男子代表監督就任時の年俸は4800万円だった)。日本A代表監督と日本五輪代表監督を兼任するのは、トルシエ以来である。また、初の外国人日本代表監督のオフト以降では、W杯後の新日本代表発足時に日本人監督が就くのは初めてである。

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